福島民報連載「民報サロン」④

手放す事で出逢った縁

「えー、もったいない、どうして?」
震災後、薬剤師を辞めNPOを設立した時、友人知人が声を揃えて言った台詞です。「なんでなんだろぉー?」自分でもよく解らない。焦りはあっても何をどうしていいかわからない状態の日々でした。何か自分の得意分野でお役にたつ事出来ないかな?って右往左往しているうちに、自然発生したNPOだというのが一番正直なところです。
5年たった今、薬剤師の務めを手放し、NPOを設立したことで気がついたことや教わったことが沢山あります。
一つ目は、時の流れを自分時間で決められる様になった事です。
朝4時に起きて一日がスタート。一斉に鳴き始める鳥の声、昇る朝日の清々しさ。夕方5時過ぎには夕飯を食べ、9時には就寝。自分時間で一日を過ごす。勤務時間に縛られず、時間を楽しむ余裕が出来ました。反面、いつも何かお役にたつ事は出来ないかと心にかけ、仕事するようになりました。休日という概念がなくなったのです。
その2、収入は激減しましたが、お陰様で不要なものを購入しなくなりました。何か買わなくてはという衝動がわかなくなったのです。命をつなぐ「食と水」は大切にしますが、その他の出費は手放しました。
その3、今を喜び、感謝することで、日々の生活の幸福度がメチャメチャあがってきました。
その4、やりがいのある、心が喜ぶ仕事ができるようになりました。
当NPOではこの人の生き方、すごく素敵だな、お手本にしたいな、って言う人生の達人を皆さんにご紹介する交流型の学習会を開催しています。集う人は損得勘定のお客様ではなく尊徳感情をシェアする仲間です。肩書や性別、年齢も関係ありません。集い、学び、お茶を飲み、ご飯を食べ、笑い、怒り、泣き、喜怒哀楽を共にできる平等な仲間です。参加した皆さんから感謝の言葉をもらい、スタッフ一同、感動を頂いています。何者にも換えられないご褒美です。
本日、いわきアリオスでご講演をいただく池川明先生も素敵な人生の達人。
10年以上前からコツコツと、子供達にお腹の中にいた頃の聞き取り調査をし『胎内記憶』として論文で発表。著書やDVDも多数出版されています。
死産・流産、子供との死別。病気や障害を持って生まれた子供に、我が身を責めるお母さん。沈んだ心にしみこむ、慈愛に満ちた愛情あふれる言葉と笑顔で、勇気ややる気を呼び起こし、家族に幸せを運ぶコウノトリのような産婦人科の先生です。
「どうも赤ちゃんって意志があって、自分の人生を自分で決めて生まれてくるようなんですよ。雲の上から見ていたよ、お母さんを幸せにするために生まれてきたんだよって、多くの子供が話すんですよね。そんな子供の成長を慈しみ、ぐんぐん伸ばしてあげる子育てをしましょうよ。赤ちゃんは選ぶんですよ、このお母さんがいい、この家族でいこうってね。」そう話す池川先生。ゲストに荻久保監督やどいしゅうさんも迎え、「池川明と愉快な仲間たち」は、いわきアリオスで本日1時よりスタートです。
どうぞお気軽にお越しくださいね。
(いわき市中央台鹿島、元気の素カンパニー以和貴理事長 植木秀子)

福島民報連載「民報サロン」③

胎内記憶

 横浜にある、とある産婦人科の院長さん。スタッフと話した時に、お腹の中にいる時の記憶をもっている子どもがいるという話を聞きました。
「え、赤ちゃんってお腹の中にいた頃の事、覚えているの?」
産まれたばかりの赤ちゃんは目も見えないし、ましてや記憶も意思も全く無いと思っていた院長さんは、スタッフとの何気ない会話にショックを受け、それがきっかけで産まれる前の記憶を持つ子どもたちの聞き取り調査を開始しました。
その産婦人科の医師の名は池川明。
周囲の冷ややかな目にもめげず、地道な聞き取り調査から十数年。辞書にはない「胎内記憶」という造語は池川先生によって広まり、今や出産する人たちの多くが知っており、日本だけならず海外からも講演依頼が殺到するようになりました。著書も多数出版されています。
「お母さんを幸せにするために産まれてきたの」「雲の上から見ていたよ。」「優しそうだったから、この人が良いなって思って決めたの」「寂しそうだったから、この人のところにいこうって決めたの」「虹の滑り台に乗ってきたよ」……。
お腹にいた頃の記憶だけでなく、産まれる前の記憶を語り始めた子どもたち。自分が宿るお母さんを決めた理由は千差万別。表現の方法こそ違いますが、幼い子が、みな申し合わせたように同じことを話します。「親は選べない」というこれまでの常識を一気に覆す、幼い子供達の話し。約4割位の幼児が、胎内記憶を持っていると言われていますが、言葉を覚え、語り始めた2~3歳の頃から、徐々に、記憶がなくなっていくらしいです。ごく少数、大人になってもこの記憶が残っている人がいるらしく、私も、実際に胎内記憶を持つ40代の女性にお目にかかってお話しを聞いたことがあります。彼女も胎内記憶を持つ子どもたちと全く同じことを話してくれました。但し、幼いころ、胎内記憶の話しをすると奇怪な目で見られたので心のなかにしまい込み、今まで誰にも話したことはなかったとか。
「世の中の役に立ちたくて産まれてきたの」「世界平和のために産まれてきたの」胎内記憶を持つ現役の子どもたちによれば、私たちは、どうも世の中に幸せのタネを蒔き、育てるために産まれてきたようです。
「人様に迷惑をかけるんじゃないよ」「世の中のお役にたつ人になりなさいね」「お天道様が見ているよ」そんな言葉で育てられていた日本の子供達。
自然と共存共栄していた時代、今ある物を慈しみ、大切にし、数字で上下関係をつけられる事もなく、かけっこであれ、工作であれ、得意分野での大将がそれぞれに輝ける子供の時代がありました。命をつなぐ食が、日々の暮らしの中で生きていた時代です。
高度成長も成し遂げ、飢える事もなく、物があふれる今、学校に通えない子供や深刻ないじめの問題に直面しています。
「世の中のお役に立つために産まれてきたの」「笑顏が見たくて産まれてきたの」と語る、純粋な心をもつ子供達。
なにかお役に立たなくちゃと一念発起。
7月10日の日曜日、池川先生の講演会をいわきアリオスで開催します。一緒に集い学びあいましょう。
(いわき市中央台 元気の素カンパニー以和貴理事長)

福島民報連載「民報サロン」②

小さな小さな世界平和

先日、インド女性が3人、我が家にホームステイしました。私は相手が言っている事がなんとなく分かる程度の英語力。せっかくインド人から直接インドの話しを聞けるチャンスなのにコミュニケーションがとれないなんて残念無念。
震災後、北欧の方々の福島取材コーディネートとアッシー君をした時も同じ思いをしました。あの時『私、絶対に英語を話せるようになろう』と心に誓った5年前の、あの熱き思いは、一体全体どこへ飛んでいったのやら。
それにしても彼女たちの日本文化に対する興味や関心はスゴイですね。着物を羽織らせてあげたらとても喜んで脱がない。
インドの大学生
茶道にも大変興味があったようで、お茶を点ててあげたかったのですが、抹茶を切らしていました。いわき市生涯学習プラザには本格的な茶室があります。せめて茶室だけでも見学させてあげようと、プラザに問合せましたら「ぜひどうぞ」という温かいお返事。日本文化のプチ教養をと、伝承郷、着物ショップ、日本人形店、そして茶室見学を計画しました。が、ここでぶち当たる習慣の違い。そして、迷惑御用達人の出現。出発時間になっても1人だけ寝ている。買い物に連れて行くといつの間にかいない。人を待たせるのは平気なんだけど、自分は待つのが嫌い。お陰でたてたプランは全滅状態!こんな時、いつも思うのが「お試しされてるなぁ~」ということです。
腹を立てず、いかに適確に行動し、最小限の被害に食い止める事が出来るか。どう伝えたら、こちらの思いが届き、満足いく状況を作れるかという、まるで精神修行の様なお試しです。言葉が通じれば本領も発揮出来るのですが、なにせ語学力が乏しい。というか無いに等しい。
「あの時から英語を学んでいタラなぁ~。やってレバーこんな事にならなかったのになぁ~」。禁句と誓った「タラとレバー」がつい口から出てきます。
彼女たちはインドの大学生。経済的にもかなり恵まれた環境で育った人たちでしょう。教養もあり、言葉は通じなくとも意思疎通も出来ます。そんな彼女たちと一緒に行動して多くを学びました。
日本は豊かな国ゆえ物価が高い。いろいろ欲しい物はあった様ですが値段を聞いて諦めていました。おみやげは百均。
今、世界の人口は63億。もしそれを100人の村に縮めるとどうなるかという「もしも世界が100人の村ならば」の本の中に、100人のうちの7人が世界の富の59%を所有し、80人の人が標準以下の暮らしをしていると記されています。今の日本国民は、標準以上の豊かな暮らしの20人の中に入る生活レベルです。戦いの危険や投獄される孤独、飢えの悲痛を一度も経験していないのなら、世界の5億人の人より恵まれているとも記されています。
一部の人の富の集中所有を手放し、世界の人が、みんな笑顏で暮らせる標準の生活をシェアしたら戦争なんて起こらないだろうに。今の地球人が抱える貧富の差って、どこかおかしいなぁ……。
台風のように現れ、そして去っていった彼女たち。高尚な会話はできませんでしたが、他愛ないことで笑い、習慣の違いを含め異文化交流を徹底的に楽しみハッピーな共通の想い出を創りました。
インドの大学生
きっとこれも小さな小さな一つの世界平和運動ですね。
(いわき市中央台 元気の素カンパニー以和貴理事長)

福島民報連載「民報サロン」①

心の元気と体の健康

震災から5年が、あっという間に過ぎてしまいました。「もう5年経ったのかぁ……」と思っているうちに熊本大地震が発生。九州で今、大変な思いをしていらっしゃる方々のことを思うと心が痛むと同時に、テレビなどで報道を見る度に、5年前の事が思い出されます。
私は東日本大震災を経験し「情報が人の命を左右する。」ということを学びました。そして、その貴重な情報は人から届くものだということも……。
「今必要な情報を地域の皆さんにお届けしたい!」と右往左往しているうちに、いつの間にか生涯学習のNPOを設立し、アッという間に3年が過ぎてしまったというのが実感です。
設立当時、NPOが何なのか、法人が何なのかも知らないで、勢いだけで設立したものですから、それはもう大変でした。大変って「大きく変わる」と書きますが、人生が本当にガラリと変わってしまいました。
労務や財務など、まるで未知との遭遇。(もっとも私の場合は未知というより無知と言ったほうが正しいですが…。)
今更ですが、サラリーマン時代こんなに税金払っていたの?ってビックリ。給料明細なんて支給額しか気にしていなかったので、ホント驚きました。給与に占める納税率って随分高いという事実を初めて知る五十六歳、これぞまさに無知との遭遇です!
当NPOは生涯学習で心の復興を目指して活動しています。とはいえ、なにせ収益性の低い社会貢献事業ゆえ真面目に働いても給料がまともに払えない。応援してくださる皆様のお力を借りながら、青息吐息でなんとか事業継続中。利益をだし、給料を払い、健康保険や年金に加入し、税金も払っている世の社長さんって本当にスゴイッ!後光が射して見えます。
業を起こすには勢いも必要ですが、下調べや経験も大切だって、しみじみ感じました。ほんとに継続は難しい。
兎に角、無知からのスタートなのですから、知ったかぶりせず分からないことは何でも聞いて教えてもらっています。後は昇るばかりですもんね。
そんなオッチョコチョイですが、何故か思った事が実現してしまう運の良さは最高。NPO設立の時も、「NPOには(認証)NPOと認定NPOがあるらしい。どうも認定のほうが良さそうだから認定NPOとやらになっちゃおう」って決めて行動していましたら、昨年の7月に本当に認定NPOになっちゃいました。福島県内のNPOの数は八百七十四件。うち認定取得のNPOは十四件ですから、すごい快挙。これもひとえに応援して下さった皆様のお陰です。
何事にも楽観的な私に、無理とか不可能っていう文字はない。認定取得を決めた時も「無理だよ、そんなことぉ」って言う人が、周りに100%でしたが、全く気にせず「どうやったら認定を取得出来るんだろぉ~」っていう事だけ考えて行動していました。
やりたいことは何事も実現させだほうがいい。『気』が『楽』になる気楽な方法で、楽しみながら実現させちゃう。そんな「心も体も元気になる情報」を皆さんとシェアしたいなぁって思っています。どうぞよろしくお願いします。
(いわき市中央台鹿島、元気の素カンパニー以和貴理事長 植木秀子)